Vtuberと創作と二次創作
創作と二次創作について、再度考えようと思う。
書きながら考えるから、頑張って読み取って欲しい(他人任せ)
また、個人的に思う見解が多い。
例えば、私は同人作家であるが、私の意見が同人作家の総意などとは思わないで欲しい。
あくまで、私の考えである。
Vtuber
Vtuberというコンテンツが出来た。
それがとてつもない速度で、色んな人がVtuberを基軸に創作をしている。
キャラクターを生み出し、命を吹き込んで、Vtuberという存在は「生きている」
どの記事かは忘れたが、以前にこんな感じの記事を見た。
「アニメは1クールで終わる。漫画もいずれは終わりが来る。だが、Vtuberという存在はVtuber自身があり続ける限り生き続ける」
その通りだと思った。
当たり前だけど、Vtuberを作っているのは人だ。
キャラクターというのは、人が生み出す。自身の知識をキャラクターに反映させて、日々成長させる。
よく考えてみる、それは人間も同じだと。
創作とVtuber
今まで創作と言えば、どういうものがあっただろうか。
文章、絵、音楽、それらをかけ合わせた漫画や映像。
そして、それらには全て物語というものが存在する。
物語があれば、それは創作なのだ。物語を作るということは、世界を作ると言うこと。
なんでもそうだ。
ワンピースは大海賊時代の世界を描いた。東方Projectは幻想郷という世界を描いた。一般的な高校生が出るライトノベルも、あったかもしれない世界を生み出している。
さて、それではVtuberはどうだろうか。
私はVtuberの「初めまして動画」が好きだ。
自己紹介の動画。そこで各々が、世界を生み出している。
世界観を大切にしているVtuberはとても多い。その世界で生きていく様子を部分的にカットし、映像にして、視聴者に届けているスタイルが多く存在する。
そして、大切なのはそれは「最初からガッチガチに固めていない」こと。
悪い言い方をすれば、ご都合主義でどうにでもなる。
だが、それが良い点なのだ。
今までの創作と違う所
Vtuberという存在は生きている。最初に述べた通りだ。
当たり前だが、視聴者もまた生きている。
そして、その生きている者同士近いのがVtuberの特徴だ。そこが、大きく今までと異なって出ている。
例えば、ワンピースのキャラクターが今更Vtuberを初めても意味は無い。何故なら、今まであった世界をぶち壊すことになるからだ。
もしそれをやるならば、何かしらのゴリ押しが必要になる。得策とは言えない。
だが、一次創作を行っているVtuberは、自らをVtuberと名乗っている。
予め自身をVtuberだと定義した上で、世界を生み出している。
だからこそ、違和感なく、視聴者とVtuberは近い存在になる。
さて、そこでご都合主義が良い点であるということを思い出してみよう。
すると、どうだろう。視聴者と近いからこそ、創作者一人でキャラクターを成長させるのではなく、視聴者を含めて、みんなでキャラクターを成長させる形が出来ているのだ。
そこが今までの創作とは違う所。
二次創作というもの
私自身、二次創作をもう何年もやっている。
知り合いも、二次創作をする人が多い。
そこで振り返る。私は今までどうやって二次創作をしてきたのだろうか。
都合、今まで大きくやってきた二次創作は「とある魔術の禁書目録」と「艦隊これくしょん」だ。
では、何故この二つの作品で二次創作を描いていたのか。
理由は簡単だ。捏造がしやすく、また、イフのストーリーを描きやすかったからだ。
二次創作のストーリーを考える時に何をしているか。
一次創作を読み返す、そこで「使える素材は無いか」と考える。
料理と少し似ている。
一次創作というスーパーで材料を探し、その材料から二次創作へと料理をする。
人のふんどしで相撲を取っているように見えるが、美味しい料理はとにかく美味しいのだ。
一次創作は素材そのものの味を楽しむ。だが、自分の好みと100%合致している作品というのは存在しない。だから、その素材を使って、自分好みにアレンジをする。
そうして、作品を作り上げて、自らの好みと同じ人が集まる。
それが「同人」なのだ。
二次創作とVtuberに感じていたこと(過去形)
今まで見極めがとても難しい存在だった。
何故なら、前述にもあるようにVtuberは「生きている」のだ。
生きている人を二次創作をするジャンルがある。名前は出せないが、所謂「なまもの」と言われるジャンルだ。
私はVtuberというジャンルが、少しだけそのなまものに似ていると思った。
Vtuberの中には人が居る。夢を壊すようだが、当たり前だ。命を吹き込む者が居るから、Vtuberは生きている。
その中の人こそが、なまものである……Vtuberの性格は中の人の性格に左右されやすいし、中の人は自身が命を吹き込んでいるからこそ、Vtuberのキャラクターを自分自身だと思っている。
つまり、通常の創作よりも「思い入れの深さが違う」と私は思っていた。
今、二次創作とVtuberに感じていること(現在形)
過去形だ、思っていたのだ。
実際には……個人差があった。
Vtuberの二次創作はTwitterで多く見られるようになった。
そもそもVtuberの存在が、同人界隈に知れ渡ったというのもある。
そのクラスタの人たちが、こぞってVtuberの話をしているからだ。
それほどまで、影響力は高く……新しいコンテンツであることを痛感する。
実際のVtuberの二次創作は、イラストや漫画が多い。
また、動画で言えばMAD等だろう。
そして、これもまた大きく違う点なのだが……。
Vtuberの大半は、その二次創作を受け入れている
(もちろん、全てではない。取捨選択はしている)
それだけではない、二次創作を受け入れる所か、自身の創作に影響をさせているものも多い。
二次創作が一次創作に影響を与えているのだ。
だが、それは前述にも書いてある通り、視聴者とVtuberの距離が近いからこそだ。
皆で作っているという一体感は、何よりも強く、何よりもコンテンツとして成長させるものなのである。
Vtuberの関係性
少なくとも私は、関係性というものを創作でとても大切にしている。
AとBはお互いに嫌悪しながらも、お互いのことをよく知っているので、CがBを煽るものなら、Aは怒るだろう。
こういう関係性を見せられるだけで、私は滾る。
そして、その関係性はVtuberにもある。
Vtuberはお互いがお互いに世界を持っている。こういう世界が好きで、生み出しましたと自身をアピールしている。すると、やはり同じような考えを持った者同士が繋がっていく。そこで、関係性が産まれる。
最初から関係性を作り出している者も居る。にじさんじのJK3人とかは代表格だろう。
人と人との繋がりそのものがコンテンツになっている。
その繋がりは、確実にシナジーを生み出して、より良いものにしていく(この場合リアルな人間関係等は考慮しないものとする)
そして、それは二次創作にも活かされている。
関係性を見せつけられた二次創作者は、こぞってその関係性を「素材」に自身の手で二次創作を生み出す。
関係性とは、とても重要なキーワードだと私は思う。
これからのVtuber
私は未来予知なんて出来ないが……。
少しこれからのVtuberについて考えてみる。
Vtuberの数は1000人を越えた。
素晴らしいことだ、1000人の人がキャラクターを生み出し、世界観を与え、命を吹き込み、動画を撮影し、動画を編集し、公開したということなのだ。
だが、その1000人のうち、何人が同じことをしているのだろう。
キズナアイの声真似動画にあるように、トップのVtuberから見ても、ゲームをやるユーザーはとても多い。
悪い事ではない……だが、それを模範していくようでは量産型Vtuberが大量に出来上がるだけだ。それは、Vの付かないYoutuberと全く同じ。トップであったHIKAKINが商品紹介をやったから、YouTuberといえば商品紹介と紐付けられていた。
キズナアイは上手い、それを決して否定せずに自身の自虐を踏まえながら伝えていた。
何が言いたいのかと言うと、これからのVtuberは自分に出来ることを探して行く者が増えると思う。
私にも、Vtuberにしか出来ないことは分からない。
分からないが……この数ヶ月で、きっとそれは産まれると思っている。逆に言えば、産まれなければ衰退していくと思う。
この記事を見ている貴方がもしも、Vtuberならば、少し考えて欲しい。
自分には何も出来ないではなく、自分が何をするか(Hugっと!プリキュア10話のセリフより)
そうして、何をしたいか、何が自分にはあるのか。
先日行われたフィオさんのクイズ大会がある。
あれはテレビの真似事だ……だけど、テレビでは煩わしかったデメリットを抜いた真似事だ。つまり、改良された真似事なのだ。
番組を作るのは大変だ。打ち合わせに打ち合わせを重ねて、出来上がるものだと思っている(実際の現場は知らない)
だが、あのクイズ番組はたったの数週間で出来上がった(ワールドの制作はもう少し時間がかかっていた。また、自身も参加側の当事者なので、数週間で出来上がったのは事実)
もちろん、その結果は様々な協力してくれた人たちが居たからだ。
きっとこれは、Vtuberにしか出来ない1つだろう。
こういったことが沢山出来上がっていけば……もっともっと、Vtuberは発展していき、更に大きなコンテンツへと進化していく。
私はそう思う。
最後に
ここから先は別に読まなくても良い。
なんで、ここまでVtuberについて考えたり行動出来るのかを考えただけだ。
バーチャルという言葉だけで、浪漫を感じる。
断片的とはいえ、様々な技術は人間が思い描いていた出来事よりも遥かに越えてきている。
だからこそ、私は熱意を持って協力出来る。
もっとも、私がやりたいのは私自身がVtuberになるというよりも、Vtuberの裏方になって支えて行きたい。
プロデューサーの立ち位置になって、Vtuberを輝かせたい。
それが、自分の思い描いていた未来に近づくと思うからだ。